一九六三年の大祭では、最中にアグン山が大噴火、溶岩で一〇〇人以上もの死者が出て祭りは中止されてしまった。祭りの進め具合がお気に召さなくて、神様が怒ってしまったというわけでもあるまいが、いささか気になる話である。ゆるい下り坂の2号線は、ほどなく海岸線に出て東へカーブする。南国の光を真上からあびた海面はキラキラと輝き、眩しい。地図を拡げるとバドゥン海峡の名があり、西に見える集落は、沖合のペニダ島への船が出る村、クサンバである。近くには無数のコウモリが生息する洞窟、ゴア・ラワがあるはずである。小石の混じる砂浜におりて背のびをする。ふと見ると、海の際にいまにも崩れてしまいそうな古い小屋があった。小屋の前では、二人の男が、球技場のキーパーのように、先端に横木のついた長い棒を押したり引いたりしている。近づいてみるとそこは自然の製塩所、塩田だった。平らな砂浜に海水を導き、天日で水分を蒸発させ塩分の濃い水を得る。これをさらに釜で煮つめて食塩を作る、というのが塩田法である。瀬戸内海沿岸など、日本でも大規模に行われていた時代があったが、ここの塩田は広くなく、タテ、ヨコそれぞれ、一〇〇メートルから一五〇メートルといったものである。傍らの小屋には、使いこんだ用具がまとめて置いてあり、粗末なテーブルの上にはふちの欠けたガラスのコップが見えた。そして、ひもに通した古びた上衣が海からの風をうけ、ペラペラと舞いあがっていた。この小屋は物置小屋なのか、それとも家族でここに住んでいるのか。近付くと、一人の男は小屋の中に入り、もう一人は、棒を担いで背を向けて、海岸の方に行ってしまった。