進化するうた

2012.02.01

〈私たち〉というのが問題です。J−POP世代と、ロックおやじの父親と、松山千春ファンのおかあさんと、北島三郎にしびれているバアちゃんと、みんな1つの〈私たち〉に入れてしまうのは、かなり無理があるのではないか。その無理を承知で、過去100年ほどの日本人を、私たちのうたの担い手として、まるで1つの生物の種属のように扱っていこうと思うのです。進化し、分化し続けるけれども、うたに反応するときに、やはり何らかの文化的まとまりを保っている集団。

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逆に言えば、文化的まとまりにもかかわらず、次々と新しい要素を飲み込んで、進化し、枝分かれしていく集団。「日本人はどこまでいっても日本人だ」という言い方には、部分的にしか賛成できません。「GLAYってさ、あれ、歌謡曲じゃん。TERUの歌い方、あれ演歌だよね」という観察自体は正しくても、だから日本のうたは変わっていないということにはなりません。都はるみの演歌にしても、旋律から伴奏からバックの演奏から分析してみれば、「1960年代の新しい歌」としての側面が見えてきます。いつの時代にも、うたはダイナミックな時の変化に晒されています。異文化起源のうたと混ざりあい、新しいうたの祖型ができ、それが大成功する(みんなの心にしみる)と1つのジャンルを生みだし、それら「新しい心のうた」との反応において伝統のうたが姿を変える。これがうたの進化の姿です。